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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1321号 判決

控訴人(附帯被控訴人) 甲野太郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 山下正祐

被控訴人(附帯控訴人) 境七夕

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 下井善廣

笠井收

主文

一  原判決中被控訴人(附帯控訴人)境七夕の請求を認容した部分に対する控訴人(附帯被控訴人)らの控訴を棄却する。

二  原判決中被控訴人(附帯控訴人)境もよ子、同境慎輔の請求に対する控訴人(附帯被控訴人)ら敗訴の部分を取り消す。

右両被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)らに対する請求を棄却する。

三  本件附帯控訴を棄却する。

四  控訴人(附帯被控訴人)らと被控訴人(附帯控訴人)境七夕との間に生じた控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)らの負担とし、控訴人(附帯被控訴人)らと被控訴人(附帯控訴人)境もよ子、同境慎輔との間に生じた訴訟費用は第一、二審とも右両被控訴人(附帯控訴人)の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。

事実

一  控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という。)ら訴訟代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という。)らの請求並びに本件附帯控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として、「原判決中被控訴人ら敗訴の部分を取り消す。控訴人らは各自被控訴人境七夕に対しさらに金六〇万円、同境慎輔に対しさらに金四〇万円、同境もよ子に対しさらに金二〇万円並びに右各金員に対する昭和五三年七月三〇日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の事実上の主張は、控訴人ら訴訟代理人において、「控訴人乙山が控訴人甲野の本件損害賠償義務につき連帯保証をしたことは否認する。また、本件被害の発生及びその拡大防止については被控訴人らにも重大な過失があるから、右は本件慰藉料額の算定に当り十分斟酌さるべきである。」と述べ、被控訴人ら訴訟代理人において、「控訴人らは、当初は本件損害賠償につき責任をとる旨述べながら、時日の経過とともに不誠実な態度に変り、被控訴人らの精神的苦痛は増大するばかりである。」と述べたほか、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

三  証拠関係《省略》

理由

一  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  被控訴人境七夕(以下単に被控訴人七夕という。)は、被控訴人境慎輔(以下単に被控訴人慎輔という。)と被控訴人境もよ子(以下単に被控訴人もよ子という。)との間の長女であって、昭和五二年一〇月当時豊島ヶ岡女子学園高等部三年生に在学し、当時、被控訴人もよ子は、東京都清瀬市松山の株式会社東幸(以下単に東幸という。)に勤務し、同社金融部の業務に従事しており、被控訴人慎輔は、胃摘出手術後の病身であった。

一方、控訴人乙山は、古くから右東幸の近くで花屋を営んでいるもの、控訴人甲野は、昭和五〇年に控訴人乙山方に入って同控訴人と同棲したものであって、控訴人らは内縁の夫婦である。

2  控訴人甲野は、昭和五二年一〇月二一日東幸に二〇万円の借入に来たが、当時空想虚言症様の精神状態にあり、真実は就職斡旋の意思も能力もないのにこれあるように装い、医学博士を詐称し、その肩書のある自己の名刺を示して、被控訴人もよ子に対し、「あなたのお嬢さんの就職はきまっているか。民間企業に就職するよりは国家公務員の方が良いと思う。私は、医学博士で『内閣総理府国際協力事業団八王子医療センター』に勤務していて、すべてを委されている。右事業団にお嬢さんを就職させませんか。」等と虚構の事実を申し向けて就職をすすめた。

被控訴人もよ子は、控訴人甲野の右話を信じ、当時被控訴人七夕は第一勧業銀行に勤務している被控訴人もよ子の従兄弟の斡旋により同銀行へ縁故者として就職できる途も開かれていたが、右事業団への就職を検討する気になり、右控訴人に対し応募規定等の交付方を要請した。

3  控訴人甲野は、その後間もなく、前記八王子医療センターの案内書、同センターの亀田課長の名刺、「国家公務員初級職員募集」のパンフレットを東幸に持参して、被控訴人もよ子に右事業団の説明をし(被控訴人もよ子は右パンフレットが前年度のものであることに気付き、これを指摘したところ、控訴人甲野は、募集の要領は前年度と変らない旨説明した。)、試験があるので被控訴人七夕に受験させるようにすすめたうえ、同年一一月下旬ころ、偽造にかかる「人事院勧告国家公務員初級試験日通知」なる手書き式の書面を持参して、被控訴人もよ子に対し、「来る一二月五日に試験があるから、被控訴人七夕を八王子研修センターに行かせるように。」と指示し、かつ、「自己の友人である事業団の幹部に話を通じておいたので合格は間違いない。」旨述べ、次いで、同年一二月三日、東幸に来て、被控訴人もよ子に対し、「国際協力事業団から私がまかされた。私が面接して良いということになれば合格させることになった。」と虚構の事実を申し向け、同被控訴人をして直ちに被控訴人七夕を東幸に呼び寄させ、即日同所において自己一人で一五分間程度の面接試験なるものを行い、さらに、その数日後、「境七夕殿は人事院国家公務員法初級試験に合格致しました。尚、昭和五十三年二月一日官報に公示されますので御承知下さい。」と記載し、「国際協力事業団八王子国際研修マスター」なるゴム印を押捺し、右「マスター」を万年筆で「センター」と訂正した昭和五二年一二月五日付の偽造にかかる合格通知書を東幸に持参し、これを被控訴人もよ子に対し交付して、「被控訴人七夕は国際協力事業団に就職が決った。」旨伝えた。

4  被控訴人もよ子と同七夕は、控訴人甲野の右一連の欺罔行為を全く疑わず、被控訴人七夕が国家公務員として国際協力事業団に就職が内定したものと信じ、前記従兄弟に対し銀行への就職の斡旋を辞退する旨申し出て、その試験を受けず、また、他の就職試験の受験その他一切の求職活動を中止し、前記合格通知書を被控訴人慎輔や東幸の代表者山本十一にも示して被控訴人七夕の就職が内定したことを報告した。

4  ところで、前記のとおり被控訴人慎輔が病身であったため、被控訴人もよ子は、被控訴人七夕の就職につき被控訴人慎輔には相談していなかったが、右合格通知書を見た同被控訴人は、「これが公務員の合格通知書か。」と不審を投げかけ、また、右山本も、「正規の試験を受けないで公務員に採用されるのだろうか。」と疑念を表明した。そこで、当初は控訴人甲野の言を信じて疑わなかった被控訴人もよ子と同七夕の二人も次第に不安となり、翌昭和五三年一月二〇日ころ、被控訴人もよ子は、前記国際協力事業団の亀田課長に電話して事の次第を尋ね、その結果、控訴人甲野の前記言動がすべて虚偽であることが判明し、右被控訴人両名は大きな衝撃を受けた。

当時は、既に、被控訴人七夕の友人を含めて同年三月卒業予定の高校生の就職は殆んど内定していて、同被控訴人が高校卒業と同時に自己の希望する勤務先に就職することは極めて困難となっており、同被控訴人は、精神的打撃の余り、控訴人甲野に対してのみならず、大人一般に対しても不信感を抱き、新たな就職先を探す意欲を失い、高校卒業後翌昭和五四年一月まで自宅で過ごし、同年二月に至って民間の自動車会社に就職した。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右する証拠はない。

なお、被控訴人らは、控訴人乙山も控訴人甲野と共同して右欺罔行為をなした旨主張するが、本件の全証拠によるも、控訴人乙山が控訴人甲野の欺罔行為に加担したことを認めるに足りない。

二  被控訴人七夕に対する不法行為の成否について

右認定事実によれば、被控訴人七夕は、控訴人甲野の右一連の欺罔行為により、高校卒業に際し有利に就職し得る機会を奪われたものというべきである。

ところで、近時、民間企業たると公務員たるとを問わず、三月卒業予定の高校生の就職試験は、その殆んどが前年の秋ころから一二月にかけて実施され、就職希望の学生の大多数は右期間内に応募受験して就職の内定を得るのが社会の一般的仕組みとして定着しており、もとより、時々の労働事情による多少の差違はあるにしても、おおむね、就職希望の学生はこの機会に、自分の志望により適合し、就労条件の可及的良好な就職先を選定することができ、その反面において、この機会を逸すると、希望の職種に該当し、就労条件の可及的良好な就職先は激減し、おのずから、選択の範囲が著しく狭められ、その結果として、学生は志望の変更を余儀なくされ、あるいは、志望には適うが就労条件の劣悪な就職先を選択することとなり、さらには、当年は就職を断念せざるをえないなど著しく不利となることは公知の事実であり、このような事情のもとにおいては、就職の成否が学生側の意思よりは求人側の意思に大きく左右されるものであること及び前述の不利、有利というのも相対的であることを免れないことを考慮に容れても、学生が前記機会に、自己の志望により適合し、就労条件の可及的良好な就職先の選定を目指して就職先の選別、応募受験などの求職活動を行うことは、もとよりとれを権利と目するとこはできないとしても、法的保護の対象となり得る、充分に社会的基礎を具えた利益であると解するのが相当であり、第三者が学生に対し特定就職先への就職斡旋に止らず、全く権限もないのに同就職先の就職試験なるものを施行したうえ、仮空の合格通知を発行し、採用内定を告知し、当該学生をして、他の企業への求職活動を中止させるというような社会観念上とうてい許容し難い、強度の違法性ある欺罔行為により右利益を侵害した場合には、不法行為が成立するものといわなければならない。本件において、前記一に認定した事実関係のもとにおいては、被控訴人七夕の右利益を侵害した控訴人甲野の行為は、不法行為を構成し、同控訴人は、右被控訴人の被った精神的苦痛を慰藉すべき義務を負うものというべきである。

そして、前認定の諸事情、特に国家公務員の採用試験であるとしてなされた試験であるのに筆記試験を実施せず、面接試験を一民間会社の事務室において控訴人甲野が単独で実施しているにすぎないこと、合格通知書の体裁も一見して真正なものであるかどうかにつき疑念の生ずるものであること等本件の異常性に徴すると、欺罔行為終了後約一か月半経過するまで控訴人甲野に欺されたことを気付かなかったことは、被控訴人七夕にも被害発生及び拡大防止の点につき過失が存したものといわざるを得ない。右のごとき諸般の事情を総合して斟酌すれば、控訴人甲野の前示不法行為により被控訴人七夕の被った精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額は四〇万円とするのが相当である。

三  被控訴人慎輔及び同もよ子の請求について

前述のとおり、前示求職活動の機会を奪われたという被侵害利益の主体はもとより被控訴人七夕自身であって、その両親たる被控訴人慎輔、同もよ子ではない。そして、本件の事実関係のもとにおいて、同被控訴人らが同七夕とは別個にその固有の権利もしくは利益を侵害されたものと評価することはできないから(直接には被控訴人もよ子に対してなされた前記欺罔行為も被控訴人七夕の前記利益を侵害する手段としてなされたものとみるほかはなく、被控訴人もよ子のなんらかの権利もしくは利益の侵害があったとすることはできない。)被控訴人慎輔、同もよ子に対する不法行為の成立を肯認することはできない。

なるほど、控訴人甲野の不法行為により被控訴人七夕が有利に就職しうる就職活動の機会を奪われ、そのため、両親である右被控訴人両名の惻隠の情も強かったであろうこと、特に被控訴人もよ子は結果において被控訴人七夕に対する欺罔行為の手段的地位に立たされたのであるから、被控訴人慎輔以上に大きな感情の動揺を味わったであろうことは容易に窺知することができる。しかし、このように高校生である我が子が有利に就職する機会を奪われたことは、未だもって我が子の「生命ヲ害」された場合(民法七一一条参照)に比肩すべき著しい精神上の苦痛をもたらすものとは認め難いこと当然であるから、結局、右被控訴人両名の慰藉料請求は失当といわざるを得ない。

四  《証拠省略》を総合すれば、控訴人乙山は、控訴人甲野の前示不法行為発覚後、同控訴人の内縁の妻として同控訴人の右行為につき深く陳謝し、昭和五三年二月二三日、右不法行為により被控訴人七夕の被った損害につき、同控訴人の連帯債務者ないし連帯保証人となり、控訴人甲野と連帯してその賠償をすることを約諾したこと、該約諾に基づき、控訴人乙山は、東幸にいる被控訴人もよ子のもとに、自己の所有する中国製の陶器絵を持参し、「この絵は二〇〇万円以上の価値があるので、これを売却してその代金を賠償金に充ててほしい。」旨申し入れたが、被控訴人ら側においてこれを美術商に評価させたところ、二万円程度の価値しかないことが判明し、間もなく右絵は控訴人乙山に返還されたことが認められる。《証拠判断省略》

したがって、控訴人乙山は、控訴人甲野と連帯して被控訴人七夕に対し慰藉料支払義務を負うものというべきであり、また陶器絵の提供により一切が解決済である旨の控訴人らの抗弁は採用することができない。

五  以上によれば、被控訴人七夕の本訴請求は、同被控訴人が控訴人らに対し慰藉料四〇万円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和五三年七月三〇日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべきであるが、被控訴人慎輔、同もよ子の本訴請求はすべて失当として棄却すべきである。

よって、原判決中被控訴人七夕の請求を右の限度で認容した部分に対する控訴人らの控訴は理由がないからこれを棄却すべく、被控訴人慎輔、同もよ子の請求を認容した部分に対する控訴人らの控訴は理由があるから、原判決中右部分を取り消し、右両被控訴人の控訴人らに対する請求を棄却し、被控訴人らの附帯控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蕪由厳 裁判官 浅香恒久 安國種彦)

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